2018-11-29 第197回国会 参議院 農林水産委員会 第4号
それ以来といいますか、二回目の選挙、帰ってきましたら、当時の農水省の事務次官から、もう米の輸入交渉は終わったと、こういうふうに八月の初めに言われて、宮澤政権から細川政権に替わって、十一月に外務大臣の羽田孜さんに付いてジュネーブに行きましたら、羽田外務大臣が、二人行ったんですけれども、おい、横に来てくれと。
それ以来といいますか、二回目の選挙、帰ってきましたら、当時の農水省の事務次官から、もう米の輸入交渉は終わったと、こういうふうに八月の初めに言われて、宮澤政権から細川政権に替わって、十一月に外務大臣の羽田孜さんに付いてジュネーブに行きましたら、羽田外務大臣が、二人行ったんですけれども、おい、横に来てくれと。
そのときは、細川内閣総理大臣、羽田外務大臣、武村官房長官、そして鳩山由紀夫官房副長官、こういった形で、現在与野党ともに、いわゆる政治家として、この外交機密費、いわゆる報償費には何らかの形で関係していたわけです。 実際に、政治家が今回の事件のようなことについて、じゃチェックする時間があるかといったら、ないと思います。現実に、現地に行って外交交渉とかさまざまな厳しい交渉があるわけですから。
外務省の要人外国訪問支援室ができたのは細川内閣、羽田外務大臣のときにつくられたというふうにおっしゃったらしいです。事実は、これは平成二年、海部内閣のときにつくられたのであって、細川内閣、羽田外務大臣のときにつくられたんじゃない。だから訂正をすべきだ。あえて細川さんや羽田さんの名前を出したというのはどうも意図的なんじゃないか、削除すべきなんじゃないか、こういうことなんですが、いかがですか。
私は、だから羽田大臣が御存じだとは申しませんけれども、細川内閣、羽田外務大臣のときにこの支援室はつくられたものでございまして、菅議員が羽田元外務大臣に聞かれても、恐らく御存じないとおっしゃるのではないかと思います。
ある方は年間で六百億とも、またある方は一千億とも言われておりますし、また、九三年には、当時の羽田外務大臣が日本記者クラブでの会見で二千億円という数字を認めておられるわけでございますが、まず公安調査庁の方には、この北への送金額はどれぐらいと見積もっておられるのか、それはキャッチするのは難しいのかどうなのか。
前首相は訪日の経験もございますし、まして日本の政治家と直接お話しする機会というのは大変少のうございまして、九四年に当時の羽田外務大臣がお目にかかって以来、私が実は二月にお目にがかるということになりました。そのとき訪日を御招請申し上げたところ、喜んでということになりまして、また日程までかなり詰められておったということを考えますと、その機会を得られなかったということは残念だと思います。
実は、この首相は日本の閣僚と会われるということが非常に珍しゅうございまして、九四年に羽田外務大臣以来、私が二回目だそうでありまして、いずれにいたしましても、やや西の方を向いている感じがいたしておった首相に、ぜひ訪日をしていただきたいということで御了解を得たわけでございます。
ここ近年でも武藤外務大臣、羽田外務大臣等、マラケシュの会合等、そういったところに御出席いただいておりまして、今次会合も、全部ではございませんでしたけれども、外務大臣の出席が可能になったことは極めて我が国にとって有益だったと思っております。
ガットを受けたときには、ちょうど私は農林水産委員長の席にあって、当時、細川総理それから羽田外務大臣、今では野党でいろいろ言っているけれども、当時は与党としてこれを受け取ったわけなんです。断崖から落ちる思いであるとか断腸の思いであるとか、大分そういうふうに言ったけれども、それじゃどうするんだということでこれの対応をしたときには、既に我々が今度は与党になっておりました。
それで、外務省に伺いますけれども、昨年三月、羽田外務大臣がロシアを訪問された際、両国間の相互理解を深めることが重要との観点から日露新時代94というプログラムを発表されまして、着々と動いているようでございますけれども、ことしは若手ジャーナリストをお呼びになるということを伺っております。やはり日ロ両国の中での将来のオピニオンリーダーを育てていくということは、これは大変大きな仕事だと思うんです。
それから、さらに悪いことは、畑農水大臣、羽田外務大臣が今回のウルグアイ・ラウンドの中で減反を約束したのです。田んぼを減らしていかなければならない、田んぼ自身を。四十万トンに該当するものというのは、田んぼでいいますと一反歩八俵で約八万ヘクタール、八万ヘクタールずつを今度減らしていかなければならない。
村山総理もこの点については、前向きで積極的に努力するということを言っておることでもございますし、また過去におきましては、渡辺外務大臣の時代には批准に傾いているという言葉がございましたし、羽田外務大臣の答弁の中には決断のときに来ているという言葉もあったわけです。
あのときでも、あえて申せば、農業に関してはもう一つ粘り強く交渉する余地があったんじゃないのかということは自民党としても申し上げましたし、自民党の要請で、あのときは羽田外務大臣でしたか、わざわざ行っていただいたんですけれども、残念ながら余りあの時点では物を直すとかというようなことにはつながりませんでした。
三月には羽田外務大臣がチェルノムィルジンさんにも会いました。また、河野大臣も、ASEANの会議でバンコクでもコスイレフさんに会ったり、国連で会ったりして、それなりにハイレベルの交渉はありますけれども、しかし今やこのソスコベツさんは、ロシアにおいてはナンバースリーとも言われる重きをなしている人です。
そして、我々が政府に詰め寄って、閣僚の派遣を求めて初めて、当時の羽田外務大臣が最後の日になって現地に行かれましたが、時既に遅かったということは御承知のとおりであります。 しかも、当時の政府が合意の内容として公表しましたものが、その発表が二転三転したことも御承知のとおりであります。ですから、必要以上に国内に不安を大きくしたことも間違いがありません。
したがいまして、それに伴いまして御承知のようにWTO、世界貿易機関を設立するわけでありますが、羽田外務大臣がマラケシュへ行かれまして一応ああいう形で締結をされてきたわけですが、これからそれがいよいよ国内に移ってまいります。したがって、このWTOを条約としていつごろお出しになるのか。 御承知のように、臨時国会は九月三十日から開会されまして、六十五日間ですから約半分が経過したわけです。
○山下栄一君 今、お話しございましたように、従来の三次までの方式とこの第四次について、供与方式、年数五年を中心とした、考え方三年だというお話ございましたし、一月の羽田外務大臣、また三月の細川元首相の訪中時におけるさまざまな日本からの提案もございまして、この円借款協議に関することでございますけれども、対象分野につきましても今までと違う新たな臨み方をされておるとお聞きしておるわけでございますが、こういう
ただ、細川内閣が受諾したといえども、外交、対外的にはこれはまさに政府の受け入れでございますし、その後四月のマラケシュにおける当時の羽田外務大臣における基本文書に対する署名、さらには七月のナポリ・サミットにおいても、主要列国の批准の促進等、外交関係の継続性という点を重く受けとめなければならないし、また、WTO協定はやはり多国間の自由貿易を伸長するんだという点についても、国際社会における我が国の責任というような
あと、ことし四月十五日のマラケシュの閣僚会議で、当時の羽田外務大臣が、ガットにかわる正式な国際機関であります世界貿易機構、WTOの設立協定を含むウルグアイ・ラウンドの最終文書に署名されました。自由で公正な貿易の発展を願う我が国にとっては非常に喜ばしいことだと思います。
三月に羽田外務大臣が訪ロされた際に、東京宣言を基礎に領土問題解決のため、一歩一歩前進することで日ロ双方が一致をしたというふうに承っておりまするし、また七月のナポリ・サミットの際に、私からもあるいは河野副総理兼外務大臣からも、ロシアによる法と正義に基づく協調外交の必要性というものを強調して、東京宣言に基づく日ロ関係の完全な正常化の必要な点についてお話し合いをしてまいりました。
しかし、これはだんだんいろんなひずみも出てきましたし、そういうことで世界貿易機構、WTOに移行していくだろう、移管せざるを得ない、来年一月を期してということで、マラケシュでこの間、日本からは羽田外務大臣が行かれましてそういう合意もされたということでありますが、このWTOについて、もちろん日本でいろんな国内法の整備、いろんなこともありましょう。